嵐が愛される理由(前編)〜2009年3月「日経トレンディ」より

  • 2013.08.19 Monday
  • 23:00
 
  先日、「真夜中の嵐」レポの途中で、興味深い記事を見つけました。
 「日経トレンディ」2009年3月号こういう一般社会人が目を通す雑誌で
 「ことが語られるのは、10周年という節目の時期だからでしょう。
 ファン目線で嵐の10年を語る場合、どこ甘々で、つい大げさな表現を
 してしまうところがあります。その点、こういった経済誌は逆に視野を
 広げてくれることもあります。真夜中レポで「嵐の絆」を感じた後だったので
 かなりタイムリーな記事でした。自分なりの考察を含め、紹介したいと思い
 ます。少し長いですがおつきあい願えたらと思います。


苦節10年、「嵐」が愛される理由(前編) 
                                                   ジャーナリスト 長田美穂さんの記事より一部抜粋

メンバー紹介とそれぞれの印象

長田さんは記事を書くにあたり、藤島ジュリーさん、嵐のメンバー、彼らを取り巻く関係者、そしてファンにインタビューをしています。以下、長田さんの嵐のメンバーの印象です。
大野智・・努力家で、歌唱力とダンスはジャニーズ屈指。08年には10年かけて作りためた作品で個展を開いた。寡黙で知られ、はにかみながら、ぽつ、ぽつ、と話す。しかし、この語り口がTVでは笑いを誘う。大野の存在こそが、嵐の「愛される理由」をひもとくカギの一つ。
櫻井翔・・06年から日本TV系の「NEWS ZERO」で、月曜日のキャスターを務める。静かな声で、そのまま文章になりそうなほどきっちりとした言葉を話す。
二宮和也・・ドラマや映画出演が多い。本音とはぐらかしが交錯するような語り口。だが少しずつ“べらんめえ調”になり、話は熱を帯びた。
松本潤・・「花より男子」で当たり役を得た。嵐ブレイクの立役者。容姿の華やかさからグループの人気者。
だが、素顔で現れた松潤には無精ひげも生えていて、話の中身はとりわけ人間くさかった。
相葉雅紀・・バラエティー番組で明るい天然ボケ役を演じてる。天性の人気者とは、こういう人を言うのかもしれない。会った瞬間から目をみてそらさず、吸い込まれるような魅力がある。

藤島ジュリーさんインタビュー (ジャニーさんの姪、嵐のプロデュースを手がける)

藤島「本当に、時間がかかった子たちなんです。上には先輩グループが何組もいて、下からもどんどんデビューしてきて。」
デビュー曲「A・RA・SHI」はヒットしたものの、2枚目からは先輩グループや後輩グループにおされ、売上がしぼんでいった嵐・・。ジュリーさんは二つの手を打つ。
一つは楽曲制作。ポニーキャニオンから独立させ、嵐のためのレコード会社ジェイ・ストームを01年に立ち上げた。
「(ポニーキャニオンと)思うように意志の疎通が図れなくなったとき、文句を言うより自分たちで責任を持って手がけたほうがいいと考えて、新しい会社を作りました。」
そして独立第1弾としてa Day in Our Life」をワンコイン(500円)で発売!37万枚を売り上げる。また、曲の作り方も変えた。
「職業作家の先生にお願いして、その人のカラーの強い曲をいただくより、新人でも無名の人でもいいので、いろいろな曲を集め、その中から一番、嵐に合ったものを選ぶ方法にしました。」

 それでも試行錯誤が続き、売上の低迷は続く・・・
 そこで打ったもう一つの手は嵐5人を主演に据えた映画
 製作「ピカ☆ンチ」「ピカ☆☆ンチ」「黄色い涙」の3本
 を制作。ジャニーズが購入した劇場「グローブ座」で上演
 した。その理由は・・


「映画の出演依頼が来ると、役柄や番手はやはり気にします。ほかの出演者とのバランスを考えると、やらせてみたいけど引き受けられないということもあるんです。でも、自分たちで作ればそれを気にせず、『お勉強期間』にやらせてみたい役を与えられる。松本や相葉がすごく変な役をやってもファンは許して見てくれるでしょう。」
レコード会社設立や映画製作はジャニーズ事務所のビジネス戦略の一環と見るべきだろう。しかし、そこに「」というコマをあてはめたのはなぜか?
「ほかのグループと比べて、強い個性やカラーをもつグループではなかった。だから、いろんな冒険をさせやすかった」とジュリーさんは言う。

私的考察・・・
SMAPキムタク前NEWS山Pように目立つメンバーがいなかったことで、世間に認知されるのに時間がかかった「」。しかし、その地味さを逆手にとって新しい戦略を次々と打ち立てていったいきさつが、ジュリーさんのインタビューから伺えます。冒険をさせてもらうことによって、それが彼らの経験値となり今に至る。すごく期待され、可愛がられたグループだったと感じます。

02年夏のツアーが嵐の分岐点 

では嵐は、自分たちの状況をどう受け止めていたのか。櫻井は、02年の夏のツアー(「HERE WE GO!」ツアー)について語った。
「あのツアーのとき、5人で毎晩集まって、明け方まで話し合いました。嵐って何なのか。嵐はこれからどうすべきなのか。CDデビューする前から活動していたグループと違い、僕らはW杯バレーボールのイメージキャラクターとしてCDデビューすることを前提に集められたんです。グループの土台を、自分たちでゼロからつくっていかなきゃいけないのに、それがないまま来てしまった。そのことにようやく気づいたんです。」
「嵐(ストーム)」の名がついたレコード会社ができ、新劇場のこけら落としに主演映画がかかると聞いていた。
「事務所や周囲は、“波”を作ってくれてる。でもオレら全然乗れてねぇじゃん。」ツアーの夜、櫻井はこう言った。櫻井の言う“”とは、スポーツ新聞やワイドショーに出るような話題のこと。
「でも話題は一過性のもの。知名度につながらないんです。」
キャラを立たせたい・・それが話し合いで見えた一つの方向だった。
「5人の中に同じキャラのヤツが2,3人いても仕方がない。それぞれがいろんな方向性の仕事をして、5人集まったときに「嵐」になる。そういう形にしたいねと。今思えばスッカスカの浅い議論なんですが、5人であれだけ話し合ったのは、あの時だけでした。」
そして、はじめてもらった冠番組「真夜中の嵐」この旅で培った体当たり企画は形を変え、C、D、Gの嵐、宿題くんへとつながっていく・・。

私的考察・・・
ジャニーズならではの高いハードル。(普通レベルで考えたら十分売れているのだけど・・)期待が大きいだけにメンバーの焦りや不安は大変なものだったと思います。そんな中、それぞれが自分の方向性を探り、5人集まったときに「嵐」になるという発想。たとえ自分に仕事が来なくても、仕事の来たメンバーを励まし、送り出す雰囲気。その仲の良さが「」の最大の特徴そして長所となり、皆に愛されるグループになったのでしょう。


長くなったので、その後の活躍については次回、後編にお話します。








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